さて、今回は、私が仕事が原因で適応障害になって休職したお話しをしようと思います。
どうぞ、最後までお付き合いください♪
2022年4月、職場で新しい部署に配属されました。
この部署は、ご時世柄が影響した部署で、会社内で一番の激務部署でした。
私は、その中で主軸となる委託の担当と、広報の担当をしていました。
とても重圧のある仕事で、とても異動してきたすぐの人間がやれる仕事でなかったです。
しかし、激務の部署であるが故に、他の人に聞ける状況もなく、というか前任者以外に業務を把握している人も少なく、時間もない中、手探りで進めていました。
上司は管理職になったばかりの方でした。激昂こそするタイプではありませんが、
とにかくこの上司に私含めて全員が日々、振り回されていました。
上司の性格は
①とにかく細かい。変なこだわりがある。
②プライドが高い。
③人の話を聞かない。自分の意見に歯向かうと機嫌が悪くなる。
④誰かの悪口ほ引き換えに誰かを褒める。
と言うとにかく、モラハラ気質で、ネチネチした人でした。
私は、毒親育ちというのもあり、親とその上司の性質が似ていたため、
最初こそ、気を使って頑張っていましたが、段々と感情が振り回されるのに疲れてきました。
そして、仕事の日は、朝起きるのが辛かったり、体が鉛のように重かったり、だるかったり、常に緊張していて体がこわばっていました。
そして、ついに理不尽なことで、不機嫌になって、私のことをコントロールしようとした上司にキレて、次の日から仕事に行かなくなりました。
自分では、異変に気づいていませんでしたが、メンタルクリニックで適応障害と持病のパニック障害の悪化ということで、3ヶ月の休職をすることとなりました。
しかしながら、休職しても、復職は同じ部署でという人事からの言葉に私は本気で転職を考えました。
でも、今の体では、動くこともできないから、まずはとりあえず休もう。そう言い聞かせ舞したが、とても不安でした。私は、これからどうなるんだろう、どうしよう。
まさか自分が休職すると思っていなかったし、終わりの見えない感じがとても怖かったです。
毒親と親戚たちと縁を切っていたので、誰にも相談できずに孤独に過ごしていました。
と、ざっくりですが、私が休職したときの様子はこのような感じでした。
また、ゆっくりお話ししていきます。
最後まで、ご覧いただきありがとうございました★
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