はじめに
こんにちは、毒親ブログのまりるりです。
私は、8歳で母を病死で失ってから、妹と父と3人で生きてきたアラサーです。
私の父は、『猛』がつくほどの毒親でした。実家は18歳の時に出ました。
今日は私の毒親について振り返りと考察をしていこうと思います。
心配性な父
私の父は、すごく心配性でした。
それは、私が幼い頃から大人になるまで過保護で心配性でした。
例えば、高校のとき、市外の学校に通っていたので
教科書が重いんじゃないかと言って、家用と学校用と全ての教科書、参考書を
学校に言って2冊ずつ揃えてもらっていました。
私は重くないし、大丈夫と言っていたのに、2冊ずつ用意されました。
結局、使うことはなかったので、教科書をなくした友達とかにあげてました(笑)
あとは、学校の体操着もなくしたりしたら大変だと言って、4着ずつくらいは買ってくれていましたし、
ローファーも、私は足が小さくて、普通のローファーが入らないので、
ストラップ付きのものを3足くらい買ってもらっていました。
「そんなに同じものを買ってくれなくても大丈夫、他にお金使って欲しい」といった私の言葉は届きませんでした。
日焼け止めを買ってきて欲しいと頼んだら、お店にある全種類を妹と私の分2個ずつ買ってきてくれたりと・・・・
うちの父はスーパーに勤めていたので、よく買い物をお願いしていたのですが、
父に頼むと頼んだ10倍くらい買ってくるので、一回、妹が無駄使いだとキレていました。
ちょっと父は、しゅんとしてたので、私はそれ以上は言えませんでした。
買い物については、お金に余裕があるならいいのですが、
一番困ったは、私が体験したいことをさせてくれなかったということです。
私の実家は、田舎なので車がないと駅までも行けません。(駅まで車で30分)
母のいない私は(よそのお家はお母さんがいるので、送迎してもらっていた)そもそも遊びに行ったり、部活の個人練習にみんなと行くことができなかったので
そういうところでよく疎外感を感じていました。
(ちなみに、駅までバスで行くと片道980円かかります笑)
数回ですが、バスで内緒で遊びに行ったことはありますが、仕事中の父からいきなり家事のことや頼み事で電話がかかってくるので、ビクビクしていました。詳しくはこちら。
大人になって思ったこと
小さい頃から、いろいろな頃に挑戦して、失敗して、励まされてまたチャレンジするという経験をしていないため、とても自己肯定感が低く育ちました。
また、それゆえ自分に自信が持てなく、新しいことにチャレンジするのも怖いし不安が強いです。
多分、私の親も、不安が恐怖感が強かったんだと思います。それゆえに、子供もに干渉していないと安心できなかったんです。
しかし、結果として、親の不安感の強い子育てというのは、子供の自信を削いでしまっていて、
結局、成人に近づいても、親の支配下から抜け出せない人が多いと思います。
その支配から抜け出すことが、毒親の解毒をする唯一の方法です。
詳しい内容はこちらをご覧ください。
お金がないけど、実家を出たい方はこちらをご覧ください。
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