こんにちは、毒親ブログのまりるりです。
私は、8歳で母を病死で失ってから、妹と父と3人で生きてきたアラサーです。
私の父は、『猛』がつくほどの毒親でした。実家は18歳の時に出ました。
それから12年ほど経った今、父はここ数年で、かなり解毒したらしく、柔らかく大人しくなったと聞いています。
年と共に毒親も変わっていくものなのですかね・・・・
そんな毒親育ち、毒親から逃げたしたまりるりですが、
今日は、毒親こんなことあるある?な話をしようと思います。
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あなたの親は、あなたの挑戦したいこと、興味を持ったこと、夢について
応援してくれましたか?
これは、金銭的な応援もそうですが、子供が自分のやりたいことや、幸せに近づくことについて
心の底から応援してくれる態度であったでしょうか。
毒親さんの特徴として、子供がしたいことをしていると自分が置き去りにされたような気分になり、子供が離れていくことに脅威を感じるため、子供のことを自分勝手と言って責めてきたことはないでしょうか。
私にはあります。残念ながら。
父も精一杯だったことは知っています。
しかし、私は周りの援助なしでは、何もやらせてもらえない環境でした。
ダンスを習いたかった時もそうだし、一度やめたピアノをもう一度習いたかった時もそうです。
部活の個人練習に参加できなかったり、友達と電車に乗って遊びにいくのも許されなかったです。
それは、父が自分ばかり仕事という辛いことを乗り越えているにもかかわらず、
子供達が呑気に遊んでいるのが許せなかったのです。
そして、私が親離れして父が取り残されるのを危惧していたんだろうなと思います。
このような親にとって、子供がやりたいと思うことと、自分が子供に望むことが一致しなければ意味がないのです。
その結果、自分の望むようにならないことは全てなんらかの理由をつけて責め立てます。
妹は、父の洗脳によって、重度のうつ病、そして不眠症を抱え、血を吐きながら薬剤師になりました。
これは、父の要望でもあった、いや、父だけの要望を無意識のうちに汲み取っていたのかもしれません。
温厚だった妹が、人が変わってしまったように神経質になり、気づいた時にはアスペルガー症候群になっていました。
漫画家やパン屋さんになりたかった妹の夢は、父とは一致しなかったのでした。ちゃんちゃん!
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