【毒親ブログ】感情の抑制と過食症について

はじめに

こんにちは、毒親ブログのまりるりです。

私は、8歳で母を病死で失ってから、妹と父を3人で生きてきたアラサーです。

私の父は、『猛』がつくほどの毒親でした。実家は18歳の時に出ました。

それから12年ほど経った今、父はここ数年で、かなり解毒したらしく、柔らかく大人しくなったと聞いています。

年と共に毒親も変わっていくものなのですかね・・・・

そんな毒親育ち、毒親から逃げたしたまりるりですが、

今回は毒親と過食症についてお話しししようと思いますので、

よろしければ最後までお付き合いください。

実は私、過食症気味なんです

実は、私、1年前から過食症気味なんです。

それまでは身長148センチで、体重42キロだったのですが、今じゃ49キロです。

7キロも太ってしまいました。

なんたって、食べる量が異常だったんです。もう病的に食べていて、ですが、自分でも止められなかったんです。

どれだけ食べていたかというと、マクドナルドをデリバリーで頼んで、食べている間に、

食べ足りなくて次のマックを頼むみたいな・・・引いちゃいますよね。

今はそこまではやりませんが。経済的にね。(笑)

過食症がひどかった時期

今、過食症が一番ひどかった時期を思い出すと、やっぱり、職場で部署異動したタイミングが大きかったですね。

最初の部署を4年間在籍しており、そこいる人も仕事も大好きだったのですが、

次の異動で、女子初の在籍となる部署にいき、しかも前々から悪い人ではないのですが、

合わない先輩がいて、四苦八苦していました。

係は、私とその先輩と頼りない係長だったので、仕事は先輩に教わるしかなくて、本当にストレスが溜まりました。

感情の抑圧の関係について

その頃って、仕事でも言いたいこと全然言えてなかったし、自己表現をして、認められる環境になかったんですよね。

また、この先輩について詳しい記事を書こうと思いますが、この先輩はいわゆる自己愛が強くて、

自己肯定感が低い人だったので(つまり毒親の性質とよく似ている)、まぁ自己顕示欲が強く、プライドが高かったのです。

だから、すごくやりにくかった。私は私で仕事に対する考えがあったとしても、まず先輩から否定されるんです。

で、なんやかんや正当っぽいことを言われて却下。

前の部署では、自分の意見ややりたいことをやらせてもらっていただけに、かなりフラストレーションが溜まりました。

ついに過食に走る

そんな私、ついに過食に走りました。

今、考えると自分の表現したいことを表現して、それを認められなかった感情が、吐き出し口を見失って、過食という形で表現されていました。

休職中の今、先輩と離れているとはいえ、完全には過食は治っていません。

先輩と3年間一緒にいて、だんだんと自分が何を表現したいのかもわからず、無気力になった今、うつ病になったのだとこれを書いていて気づきました。

前は、ダンスをしたり、ピアノを引いて、自分の言葉にならない想い、内側に溜まっている想いを表現したくて、たまらなかったのですが、今、何を表現したいのかもよくわからないくらい、我慢しすぎてしまったみたいです。

おわりに

私は、少しでも以前の私のような表現ができるように、まずは今日から日記をつけたいと思います。

きっと、日記を書いているうちに、自分の表現したい欲が顔を出してくるのではないかと思うからです。

そしたらきっと、そちらで発散された想いが過食に向かうことは減ると思います。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

コメント