はじめに
こんにちは、毒親日記のまりるりです。
私は、8歳で母を病死で失ってから、妹と父と3人で生きてきたアラサーです。
私の父は、『猛』がつくほどの毒親でした。実家は18歳の時に出ました。
それから12年ほど経った今、父はここ数年で、かなり解毒したらしく、柔らかく大人しくなったと聞いています。
年と共に毒親も変わっていくものなのですかね・・・・
そんな毒親育ち、毒親から逃げたしたまりるりですが・・・・
今回は、こちらの記事でご紹介した双極性障害とASDを患った2人目の継母について、どのように離別したのかご紹介します。
高校進学について
まりるり中学3年生の秋、そろそろ高校受験が始まるという時でした。
私は、中学の仲間も多く進学する地元の公立普通高校へ進学するつもりでいました。
一方、父経由で、継母は、県内にある私立理系大学に進んで、医療の道に進んで欲しそうでした。
(継母の職業は正看護師だったためだと思います)
高校合格
しかしながら、継母の希望も去ることながら、私は自分の第一志望の地元公立高校に面接のみで受かってしまいました。
私はとても嬉しく、学校から帰った後、父に報告をしました。
父は、私におめでとうと言わずに
「継母には、あまり嬉しそうに報告しないでね」
と言われました。
私は、すごく悲しい気持ちになりました。
私が望んだ高校に面接で合格したというのに、それを喜んでくれないなんてことあるのかと。
ならばと、継母にそもそも高校合格について報告すること自体、私からするのはやめようと思いました。
継母が家を出る
高校合格を直接伝えずにいてから、2週間が経ったある日、継母は家を出ていきました。
理由は、私が高校合格したことを直接報告しなかったことから、
「家族じゃないんだね」
と思ったそうで、家を出て行ったそうです。
祖母宅で会議
私と妹は、父に、継母が家を出て行ったことについて伝えられ、私のせいだと辛くなり、隣の敷地にある祖母&叔母宅に避難していました。
その時、祖母と叔母から聞かれました。
「継母に戻ってきてほしい?」
「いやだ。私が家事を全部やるから戻ってきて欲しくない。もう一緒に住みたくない」
と伝え、今まで、どんな嫌な思いをしてきたのかを精一杯伝えました。
「わかった。パパにそう伝えるね」
といって、継母が家に戻ってくることはありませんでした。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
この後、私は、家の鍵を持っている継母がいつ家に来るのか毎日のように怯えていました。
また、母は看護師で薬は簡単に手に入れられる状況だったので、毒を守られるかもしれないという気持ちもありました。
そして、母は私の地元の病院で働いており、私は継母のせいでパニック障害で通院していたため、
継母の勤務する総合病院の耳鼻科の隣になある精神科に通っていましたので、
先生の配慮で、名前で呼ばれないように、バレないように配慮していただきました。
簡単ですが、以上が私の二人目の継母についてのお話です。
最後までご覧いただきまして、ありがとうござました。
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