はじめに
こんにちは、毒親日記のまりるりです。
私は、8歳で母を病死で失ってから、妹と父と3人で生きてきたアラサーです。
私の父は、『猛』がつくほどの毒親でした。実家は18歳の時に出ました。
それから12年ほど経った今、父はここ数年で、かなり解毒したらしく、柔らかく大人しくなったと聞いています。
年と共に毒親も変わっていくものなのですかね・・・・
そんな毒親育ち、毒親から逃げたしたまりるりですが・・・
今回は、毒親について今思うことを綴っていこうと思います。
私の存在感について
私の父は、仕事中心で生きている人でした。
職場は片道50キロもあるスーパーで、毎日車で通勤していました。
やはり、そこまで遠いと、体力的にもきついのでしょう。
また、職場でパワハラを受けているという話も聞いていました。
職場には、ICレコードを持っていってるらしく、労基に出す用の書類を揃えているようでした。
パワハラ、モラハラって遺伝するんですな、されやすい性格なんだろうな・・・。
そんな親自身が自分の問題で精一杯で自分のことばかり考えてしまっている状態ってありませんでしたか。
そんな状況だと、子供の存在をきちんと見てくれないんですよね。
愛情も全然もらっていなくて、唯一感じていたのが、親の機嫌をうまく取れている時だけでした。
親の機嫌が良くなると、私に対しての注目も得られるので、唯一、存在を認めてもらっている状態で、
逆にいうと、不機嫌にさせてしまうと「これ以上、パパに心配や迷惑かけさせないで」と言われ、
まるで存在していないかのように私という存在を無碍に扱われていました。
父自身も、子供のことよりも、自分がいかに心配事がないような生活ができるかが全てだったと思います。
こうして、小さい頃から親の機嫌や顔色を伺って育ってきたので、
当然、大人になっても、人の機嫌が第一のコミュニケーションをとってしまう癖があり、
自分の気持ちは二の次になってしまうところがあります。
それゆえに、モラハラにはよく合う性格というか人格になってしまいました汗
時には空気を読まずに、自分勝手に振る舞うことで、相手に「この人は自分の思い通りにはならない」と思わせることが予防だったと今思います。
適応障害を患ったのも、自分を第一に考えて行動しなかった結果だと思っています。
だから、周りからいいように使われたり、好き勝手言われたり、行動されたりしたんだなと、
もっと自分軸でいられるようなコミュニケーションを取れるようになりたいです。
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