【毒親ブログ】大学生の私vs猛毒親父ラウンド2

毒親

みなさん、こんにちは、マーガレットです。

猛毒父の反対を押し切って、東京の大学へ進学をした私ですが、

大学卒業後の進路について、私は、もちろん、地元に戻る予定はなく、東京で就職することを考えていました。

しかし、父は、私が大学に出るのを許したものの、就職は地元の役所で勤めることと釘を打っていました。

大学2年生から就職について考えていたので、父にも就職についての考えは話していました。

が、私が東京で就職したいと何度伝えても、許さない、許さない、許さない、、、、、、、

と言われ何度も心が折れました。

お父さんの言うことを聞かないならば、縁をきるとか、家にお金を入れて欲しいから、それには公務員になってとかとかとかとかとかとか・・・・・・・・

私がホームシックになって、家族に電話した時も父は不機嫌で、お金がないから、公務員になれ、地元に公務員になれ、お父さんは、会社勤めがもう限界なんだ、いじめに遭ってる、とかとか。。。。

父の状況はわかる、けどね、私は、あなたの言うことを聞くロボットじゃない、といった。

そしたら、お父さんたちに死ねってゆうのか、わかった。とか言って脅されました。

でも、私は負けなかった。縁を切られる覚悟で、東京、地元、それぞれで就職した時の

メリット、デメリットを数値化して、プレゼンした。何度も何度も、実家に帰るたびに

説明して、説得した。それを大学2年から大学4年の6月まで続けた。

大学4年の6月、私を東京の大学に出してくれた親戚から言われた。

本当に地元で就職するのでいいの?お父さんの人生じゃないんだから、自分の人生を選びなさい。

この一言で、私は、決意した。実は、父との対決は、父が優勢で進んでいて、私は地元で就職できる手配がなされていた。

しかし、直前で辞退した。私は、私の人生を生きる決心がついたのだ。この親戚には、頭が上がらない。今でも、育ての親だと思っている。

そこから、他の人よりだいぶ遅れをとって、東京で就職を始めた。何十社も落ちて、ようやく12月、最後のチャンスで、本命の業種に就職が決まった。

流石の父も、私が地元の就職を蹴った後は、東京での就職を応援せざるを得なかったのか、

東京で就職企業が決まった時は、喜んでくれた。

 

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