【毒親ブログ】エピソード3

毒親

はじめに

こんにちは、毒親ブログのまりるりです。

私は、8歳で母を病死で失ってから、妹と父と3人で生きてきたアラサーです。

私の父は、『猛』がつくほどの毒親でした。実家は18歳の時に出ました。

それから12年ほど経った今、父はここ数年で、かなり解毒したらしく、柔らかく大人しくなったと聞いています。

年と共に毒親も変わっていくものなのですかね・・・・

そんな毒親育ち、毒親から逃げたしたまりるりですが・・・・

今日は、私の育ってきた毒親環境について、携帯電話編エピソードをお伝えしたいと思います。笑

エピソード1エピソード2はこちらからご覧いただけます♪

連絡がつかないと激怒される

私は母の形見の携帯電話を父から持たされていました。

たまに、父から連絡が入ってくるのですが、遊んでいたりして、電話に出ないと

ものすごく怒られました。

「なんのための携帯電話なんだ、電話したら必ずいつでも出られるようにしなさい。」

こんなふうによく怒られていました。しゅん(´・ω・`)そんなに怒らんでもいいじゃん。怖いよぉ。

遊んでいる最中の呼び出し

小学校4年生のある日、近所の友達と遊んでいた時、仕事中の急に父から連絡が来ました。

「雨が降りそうだけど洗濯物取り込んでるよね!?」

「ごめんなさい、まだ取り込んでないです」

「早く取り込みに家にいけ。遊びより家のことを先にやりなさい、早くやって!」

「はい、ごめんなさい・・・・(´・ω・`)」

小4の私は、家に帰りました。

一緒にいた妹はまだ遊ばせて私だけチャリを飛ばして、急いで帰りました(´・ω・`)

遊び場にいた友達のお母さんが、

「まりるりちゃん、大丈夫?」

「だ、大丈夫です。(´・ω・`)」

と泣きながら帰りました。本当は、誰かに助けて欲しかったです。

なんで、私はこんなことしてるんだろうって。

家に帰って、洗濯物を取り込んで、畳んだころには、もう遊びに行く気力はありませんでした。

この日、父が帰ってきて、私を神経質に叱ったのはいうまでもありません。

おわりに

父に携帯で怒られたのはもちろんこの日だけではありません。

祖母宅に遊びに行っていても、気に入らないことが家であるとに理由をつけて、(お風呂洗え、トイレ掃除しろなど)

楽しく遊んでいる最中、呼び出され、父のいる家へ帰り、神経質に怒られました。

小さなわたしには、父が以上に神経質で自己愛的な存在ということは分かりませんでしたので、

私が悪くて怒られているとずっと思っていました。

あの頃、違う誰かに相談できたり、気づいてくれた大人がいたらこんなにも傷つきやすっかったり、

HSP的な素質にはなっていなかったかなと思います。

今でも、あの頃の父のように、神経質に怒られたり、感情でものを言われたり、電話の着信音が怖たかったりします。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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