こんにちは、毒親ブログのまりるりです。
私は、8歳で母を病死で失ってから、妹と父と3人で生きてきたアラサーです。
私の父は、『猛』がつくほどの毒親でした。実家は18歳の時に出ました。
それから12年ほど経った今、父はここ数年で、かなり解毒したらしく、柔らかく大人しくなったと聞いています。
年と共に毒親も変わっていくものなのですかね・・・・
そんな毒親育ち、毒親から逃げたしたまりるりですが・・・
今回は、毒親のコントロールについてお話ししていこうと思います。
毒親を持つみなさん、親から過剰なコントロールを受けてきた方はいないでしょうか。
私の経験上、過剰なコントロールを受けてきた方は愛着障害でいう不安型、パーソナリティ障害でいう境界性パーソナリティに当てはまるかたが多いと思います。
では、過剰なコントロール下に置かれた子供はどんなふうになっていくのか私を例に(笑)見て行きまっしょう。
親からコントロールされてばかりいる子供は、新しいことを経験して学び、何かをマスターし、失敗するリスクも負うように勇気づけられることがない。
そのため、自信が育ちにくく、自分では何もできないように感じることが多く、また心の奥にはフラストレーションがたまっていく。(「毒になる親」p.80 より)
私は小さいことから新しいことを経験して、自信を持つと言う体験がとても少なかったです。
2つ下の妹が生まれてすぐに、母はステージ3の乳がんが発覚しました。
すでに中期から末期ということで、覚えている限りはずっと入退院を繰り返していて、
母と一緒にいた記憶があまりありませんでした。
母は、劇団に入ったり、ニューヨークで生活をしたり、とにかく目立つことと自由が大好きな人で、
父は母とは正反対の性格で、臆病で心配性で、石橋を叩いて砕く性格で、チャレンジするということや慣れないことに取り組むのがとにかく苦手な人でした。
母がいくら明るくて、快活な人だったとはいえ、入退院を繰り返していれば、ほとんど、父の思考によって育てられています。
危ないことは基本的にだめ、新しいことにチャレンジするのも、父が不安になるという理由でだめ、
とにかく、チャレンジと成功体験がない子供時代でした。新しいことを始めるということは、まさに男性性であり、社会に出るという意味で大事な経験だったはずなのに、そのような経験がないとその後の弊害は大きいものでした。
最初の壁にぶち当たったのは、小学校1年生、転校してきたというのもありましたが、とにかく馴染むのに時間がかかりすぎました。毎日、学校に行きたくなくて吐いてました笑
次の壁は、中学校の部活動、こちらはもう社会活動に近いですよね。
社会活動といえば、縦社会が存在してきますし、集団行動や思考も小学生と比べて求められます。
これも全然慣れませんでした。テニス部で、テニスは好きでしたが部活は嫌いでした。
親が送迎とかあって不機嫌になるのも嫌いだった一因だったかもしれません。
唯一、数年前に亡くなった祖父だけは私の部活について送迎の時にいろいろ聞いてくれて
興味を持ってくれたが、今思い返すとありがたかったなと思います。
父は、自分のことばかりで、一度も試合や練習のことなんて聞いてくれたことがなかったと思います。
次に、訪れたのは、大学生になってからのバイトでした。
とにかく、叱られ慣れていなくて、どのバイトも3日とか2週間とか続かなかったです。
私にとって、叱られるというのは、父親から怒られるというトラウマを再現してしまうものでした。
今思えば、叱ると怒るは別のものだと分かるのですが、当時の私にはそれがわかりませんでした。
冒頭でもお話しした通り、このように社会性が育めなかった理由の一つは、幼少期からの親の育て方にあると思います。
もし、何にでもチャレンジして、失敗して、その度に慰めてくれていたなら、このように恐怖や不安を強く抱く人間にはなっていなかったと思っています。
その背景には、親自身の恐怖や不安というものがあって、それが子供達を過剰にコントロールしていることに繋がっているのだと思います。
今できることは、そのことを意識して、安全基地を作り、不安なときはそこに戻りながらも
社会で生きていくことだと思っています。
なかなかうまくはいかないんですけどね・・・汗
というわけで、今回は過剰なコントロール下に置かれた私のお話しでした。
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